精神分析(私が受けているのは精神分析的精神療法だが、簡略して精神分析と記載)は治療の手段だが、週1回以上同じ時間に同じ場所に通い、同じ先生と話すという行為は、もはや生活の大きな一部分である。精神分析を受けるかどうかというのは、精神分析を受け続ける生活を送るか、もしくは精神分析のない生活を送るかどうか、と言い換えた方がより実感に近い。
初回面接から半年以上が経った。精神分析への印象や態度がフラットになってきた。
開始当初は強く何かを期待したり、当日を意識しすぎてしまったり、一方話すことが苦しかったり、話したことで落ち込んだりしていたが、そういった振れ幅は小さくなった。まるで食事のように、当たり前に繰り返される生活の一部になった。
緊張が取れてきたからなのか、セッションで話すことを事前に想定したりすることが少なくなり、カウチに寝てからその場で思いついたことを徒然に語れるようになった。以前より話題も広がって、直近のセッションでは自分の好きなラーメンの話を始めて、その話題の明るさ、気軽さに自分で驚いてしまった。
こういった気軽さにこそ無意識は潜むのだろうか。これまでは分析のイメージ通り、自分が中途半端に勉強しているからだろうが、「重い話」ばかりしていた。親の話や性愛の話など、分析の教科書にまず書かれていそうな話題だ。だからこそラーメンを話題にしたことに驚いた。ラーメンの話を始めた自分は、とても自然体で無意識的であったと思う。分析オフィスの近くのラーメン屋の話であったから、もちろん先生も知っているラーメン屋であった。そんな平凡な話題が、今後は増えていくのだろうか。
コメント