ブログを読んでいただいた方から、精神科医の「やりがい」って何ですかと質問をいただき、そういえば仕事のやりがいに関して考えることがあまりなかったなと思い、このタイミングで振り返ってみることにした。
やりがいに関して思い巡らした時最初に思ったことは、仕事の「原動力や目的」と「やりがい」は違うのかもしれないということだ。本当に治療がうまくいったらその患者は精神科に来なくなる。最後の日にきちんと挨拶してくれる患者もいるが、多くは気づいたら来なくなっていることがほとんどだ。いつの間にか自分の前に姿を現さなくなった患者こそ、きちんと社会に適応して戻っていった患者かもしれないと思うと、そのやりがいを実感する機会は中々ないものだなと思った。一方、普段一喜一憂するのは、中々完治せず慢性的な経過を辿り、ソーシャルワークを含む全方位的な関わりが必要な難しい患者のことだ。多くの場合社会に適応して精神科に来なくなることはないため関係は長く、普段頭を悩ませているのはこちらである。それをふまえると、普段僕たちは「やりがい」に接する機会は少なく、「やりがい」を頼りに仕事をしているわけではないのかもしれない。中々社会に戻れない患者の「苦しみ」に少しでも近づいて知りたい・寄り添いたいという気持ちで動き、その患者との長い人間関係の中で一喜一憂して生きているのである。誤解を恐れずに言えば苦しい患者のそばにいたいのかもしれない。たしかに患者の話を聞いたり教科書や論文で勉強するのは、苦しみへの興味からだ。
長く苦しむ患者との関係性は家族との関係性に近いのかもしれない。「家族との関係や家庭生活にやりがいはあるか?」と聞かれたら誰しも違和感を感じるだろう。やりがい云々の前にそこが生活の場なのだから、一喜一憂しながらとにかく前に進んでいくしかない、という感覚だ。もちろん医者だから、皆が治って精神科に来なくなるのが理想ではあるけれど、実態は精神科との縁を切れない患者との関係性の中に天職を見出しているのかもしれない。
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